2007年03月06日

告白

研修のため半年関西にいたことがあった。土日は高校の友人4人、その友達と大阪で合コンというか男女仲間で飲み会が頻繁にあった。
いつも誘ってくれて。バーベキューしたり、お好み焼きとかイベントもやったかな。多い時で30人近く集まったことも。友達が多いのがうらやましかったなあ。

来月、その高校の友人が結婚する。
いつも飲み会で自己紹介するときは「趣味は”告白”」と言っていた。彼はいつも盛り上げ役。絶対必要な人物。

結婚する相手とは昨年、高校の同窓会で付き合っていることを教えてくれた。

しかも、2年越しの思いで。彼は趣味を常に実行し、28回も同じ相手に告白していた。それが実り、「マジ、最高!」ってうれしそうに話していた。

彼にリスペクト

この前、初めて相手を見たけどかわいいではないか。俺だけではなく、周りも思っていたらしくうらやましい。

中学の頃、好きな人に告白することが流行った。

あの頃はドラマ 「101回目のプロポーズ」 があっていて、

武田哲也の名演技

   「僕は死にましぇん。
 
      あなたが 好きだから。
 
          僕は死にましぇん。」

その後、チャゲ&飛鳥の”SAY YES”がBGMで流れる。

 余計な物など無いよね  
 あ〜あ  すべてが君と僕との愛の構えさ 
 少しくらいの嘘やワガママも 

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・
が流行になった。


友達の告白 パート1
そう、あれは満月がきれいに見えていた。文化祭参加者メンバーで夜遅く学校から帰る。途中二人きりになり。

女 「満月きれいだね。」

男 「お前の方がきれいかさ。」

それで付き合った。これは俺達の周りでは有名だった。



友達の告白 パート2
告白することがハヤリみたいになっていて、こんなことも。

女 「最近、付き合っている人多いよね?」

男 「告白流行ってるしな。付き合っているやつ○組ぐらい
   おるばい。」

  しばらくして

男 「俺も告白せないかんちゃんねー。」

女 「誰に告白すると?教えて!」

女はしつこく知りたがる。

女 だんだん切れ気味に  「教えてよ!」

男 後ろ髪を手で掻きながら  「お前にさ!」

それで付き合うことになった。
俺はその当時は”カッコイイ”と思っていたが、なんともいやらしい告白の仕方もあった。

まあ、とりあえず

結婚する友達に  ”リスペクト(RESPECT)”
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2007年03月03日

記念と約束

俺にひらめきが欲しい。  その前に。

赤灯台で話したあの頃のドキドキ感を味わいたい。

俺は中学3年の夏、文化祭で自由参加の劇をやることになった。仲のいい仲間が集まり、毎日のように放課後練習してた。

休みの日は夜、男だけで友達の家に集まる、いわばたまり場があった。

そこは高校進学のことよりも”好きな人は誰か?”という恐ろしい告白をする現場だった。

一人一人問い詰められ吐かされる。逃げ出したい気持ちが俺を襲う。

俺の番が きたーーあ。
まるで集団リンチのように俺を取り囲み、言葉が飛び交う。

「みんな、しゃべったとぞー。」
「お前、言えさー。」
「勇気が無かなー。」

俺にプレッシャーのごとく襲いかかる。

俺はこればかりは恥ずかしそうに「愛ちゃん」と小声で告白する。

「まじでー。知らんかった。」 (そりゃ、知るわけねえだろ)

恐ろしい事情聴取が終わったと思っていたが ・ ・ ・ ・



ある日、中学最後の記念に劇参加者男全員、”好きな人”に告白するという使命が下された。
”なんてことを" 誰が企画したんだ。

学校で会うだけでドキドキ。話すなんてムリムリ。

そんな俺ができるわけがない。


負けない事・投げ出さない事・逃げ出さない事・信じ抜く事
駄目になりそうな時 それが一番大事

(当時、流行ってた”それが大事”)

男同士の約束は大事。
絶対に告白しなければ。あのドキドキ感。


俺にときめきが欲しい。


−続く−
タグ:告白 青春
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2007年03月01日

赤灯台

今日、空を見上げると星が見えた。でも何だか数が少ない。

やっぱり夜でも明かりがともって見えなくなったんだとさびしく感じた。

中学の頃、何万光年先の星を見つめ、オリオン座とか北斗七星などよく探していた。

そんな中で、だち(吉田君)とよく近くの波止場に行き、赤灯台の横で横たわりながら、恋愛話やいろいろ語りあったなと思った。

そこは夏になると、星がいっぱい見えて、一日に流れ星が何十個も確認できる。海風が直接流れ、夏とは思えないくらい涼しい。

海の磯(いそ)の香り

ザザー ザザーと波止場に打ちつける波の音

プオン プオンという船の汽笛


何時間いても時間を忘れ、居心地がいい。そんなときは星を見ながら話が弾む。

急に



ゆっくりと12月のあかりが灯りはじめ
慌しく踊る街を誰もが好きになる。
・・・・・・・・・・・・・・・・
いつまでも手をつないでいられるような気がしていた
何もかがきらめいてがむしゃらに夢を追いかけた
君がいなくなることをはじめて怖いと思った
人を愛するということに気が付いたいつかのメリークリスマス



だちが大声をあげて歌う。
こんな気持ちいい気分なのに、B’zの「いつかのメリークリスマス」 

夏なのに。 
歌がうまいだけに余計に悲しい気持ちに陥(おちい)る。


俺 「なんで俺が告白するというのにこんなへこむような歌が歌える?」

だち 「馬鹿、ふられてもここまでへこむことはないぞ。」

俺 「えっ。」


しかし、これが今となっては、俺にとって応援歌に聞こえてくる。

−続くかも−
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2007年02月12日

7泊8日のオーストラリア旅行は、ブリスベン、ゴールドコースト、シドニーとまさにオーストラリアを満喫した。自然が好きな人ならきっとオーストラリアは最高だと思う。俺もまた行きたいと思っている。

場所は シドニー。その当時はオリンピックの開催が決まり、会場ができ始めていたが、今はどのように変わったのだろうか。

日本へ帰る前日、最後にお金が少し余ったので、ホテル近くの韓国料理屋で食べることに。久しぶりに箸(はし)を握る。えっ、韓国の箸ってこんなに長いの。 掴みにくい。

中国映画「キョンシー」シリーズでよく目にした箸。わかりづらいか。

今もホテルの名前を覚えている。確か、ガゼボホテル。長浜君と俺は疲れきり、オーストラリア最後の就寝に入った。

ウァンウァン リリリーン   んっ 音がする。何だ。
ぱっと目が覚める。

火災報知機が鳴っていた。「うそっ、火事かよ。」と思い、外を覗き込む。煙も火も出ていない。俺は勝手に火事ではないと思い込んだ。

長浜君は火災報知機の音にさえ目が覚めず、熟睡中。俺は起こしてはいけないと思い、そのままにしていた。とりあえず着替えておこうと思い、着替えることに。そして、着替えている途中で、長浜君はびっくりしたように起きた。
「何ですぐ起こしてくれないのか」と俺に怒る。俺の思い込みだったけど、火事じゃないと説明する。

外を見ると下に消防車3台が止まっていた。これは「やばいかも」と思った。
長浜君が逃げる準備ができるまで待つ。するとドアを叩く音がする。近づくと「No!No!No!」と声がする。どうも誤報だと言っているらしい。

そして、外を出ると宿泊客が笑いながら両手をあげ、“わからない”とジェスチャーをする。俺達も安堵の笑みがこぼれた。

俺と長浜君とは親友と呼べる間柄だと思っていたが、このことがきっかけで壁ができてしまった。


春休みが終わり、大学2年が始まった。長浜君は周りの友達に俺のことを“人殺し”と言っていた。まあ冗談だけど。

またいつか楽しく、何の壁もなく話すことができたらと願っている。
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2007年02月10日

芋飴(いもあめ)

大学の親友、守田君からは久しぶりに連絡が入った。大学の友人、長浜君が会社を辞めて、オーストラリアに留学したという話を聞かされた。素直にすげぇーと思った。
30歳になってそうゆうことができるやつは滅多にいない。

長浜君とは、大学入学当初から、同じ学科でつるむ仲間の1人だった。

俺は守田君に「急に、サッカーの中田みたいに自分探しの旅にでたんじゃない。」と軽く言った。長浜君は普段は冗談ばかり言う奴で誰からも好かれるうらやましい性格をしてた。

大学1年の春休み。2月〜4月上旬まで続く長い休みを有効に使うことができず“何しようか”、“バイトでも掛け持ちでやろうか”と悩んでた。

春休みに長浜君と話してたら、“海外にいってみたいという話”になり即決でオーストラリアに行くことになった。

周りはいきなりのことでサプライズ。

オーストラリアへ出発する前に、長浜君が成田空港で“芋飴”等、まさに日本菓子を購入する。7泊8日のオーストラリアの旅が始まった。

まず、機内で、日本ではまだ上映されていない映画が見れるのには驚いた。

上陸すると、見るものすべてが別世界。俺が外国人になった瞬間だった。
見えるあらゆるものが何でも、子供のように興味を持ってしまう。

現地でツアーパックを申し込むことになった。しかし、これがまとまらない。長浜君は大のバス釣好き。バス釣りツアーがあり勧められる。俺は一日中、釣りをするのはいやだと反論。ケンカ口調になり、周りの観光客もこっちの様子を心配する。結局、長浜君が折れることになった。今思えば俺が折れるべきだったと後悔している。

ホテルに入る。貧乏旅行なんで同部屋。そして晩飯は、マック。しかし、マックといってもあなどれない。なにせ、セットを頼むと日本とほぼ同じ値段なのに2倍の大きさ。アイスクリーム付。

長浜君から“芋飴”をもらう。おやっ、すごく懐かしい味でおいしい。

そう、おばあちゃんに良く食べさせられた飴。もらってもたまにしか食べなかった。

しかし、この時ばかりは“芋飴”がどれだけおいしく感じたか。俺は長浜君が寝静まった後、こっそり芋飴を盗み食いしていた。

そして、次の日の夜も寝てしまったことを確認して、また盗み食いする。
翌朝、それがバレて長浜君がカンカンに怒る。

「ホントごめん。」

この旅で俺と長浜君とは亀裂が生じ始ていた。

人殺し扱いを受けるとんでもない惨事が訪れるとも知らずに。

−続く−

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2007年02月06日

バレンタイン

バレンタインデーが近づいてきた。今年も何事もなく過ぎ去ろうとしている。
冬というのは、クリスマス、バレンタインデー、ホワイトデーとイベントが多すぎる。Why?

まあ、お金が消費しないことが唯一の救い・・・・。

無縁な俺としては、心も体も寒い。今年は暖冬で体があったかいだけでもましか。

俺はバレンタイデーを信用していない。


昔をさかのぼること小学生の頃、小学校5年生だったか6年生だったか覚えていない。

遊び仲間、もちろんだち(親友 吉田)もいたはず。で漁港の波止場で遊んでたら、一人で思いふけこんだ高校生のお姉さんが歩いていた。

竜二がちょっかいをだして、よく覚えていないが話をしたりして遊ぶことになった。
年上のお姉さんは俺らにとっては新鮮だったし、興味深かった。

お姉さんは家出をしたらしく、区域の親戚の家に来たらしい。お姉さんになぜ家出をしたのか聞いていたが、教えてくれなかった。まったく子供扱いされてしまった。

親戚の人から山におもしろい神様がいると聞いたらしく、そこに行きたいと言ってきた。
俺らは、山の神様といえばあそこしかないと思い、顔を見合わせて笑い、意気投合し連れて行くことになった。

山道をお姉さんと話しながらゆっくり登ること1時間、やっと目的地まで着いた。


そこには豊臣秀吉が朝鮮出兵の時に訪れた際に立てられた歴史ある石像が置かれている。
地面から垂直にそびえ立ち、2mはあろうかというぐらいリアルに描かれた石像。

地元の人は誰しも知っている“ち○ぽ”の神様。それが立派に3台も置いてある。

大人になって訪れても、あまりのリアルさに自然と笑みがこぼれる。

俺らはニヤついて反応を伺っていたが、お姉さんは石碑に書かれていた説明を読んで普通にしてた。
山を下りて帰る途中、俺が「あれ何だかわかりました?」と聞いたら、うなずいて笑ってた。

あの連れて行ったワクワク感は今でも忘れられない。お姉さんはマンガのオレンジロード、鮎川のイメージが残っている。

山を下りながらお菓子をもらったりして、話してたらバスに乗るお金もないという話になった。俺らは家に帰って自分達のありったけのお小遣い何百円をかき集め、お姉さんに2,3千円手渡した。
お姉さんはすごく喜んでくれて、約束をしてくれた。

「来年、バレンタインデーの時にまた来るけん。チョコレートあげるから。」
(その日まで4,5ヶ月はあったと思う。)

バス停まで送り、バスに乗り込むまでお姉さんを見送った。


2月14日まで俺らの中では話題になり、「ホント持ってくるんやろか」「どうやろか」


 待ちに待っていた。




そして、僕達の前に現れることはなかった。子供の頃からバレンタインデーに憧れていたが、それ以来バレンタインデーの口約束は信用できない。
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2007年02月05日

ニワトリ

昨日、ひよこのことを書いて昔のことを思い出してきた。昔といっても小学生の頃だけど、やっぱ昔になるんだろう。

小学校5,6年生は飼育係をやっていました。小学校2年生頃から、将来は動物園で象の飼育をやりたいと思っていました。その夢は小学生限定だけど。

ブログを書くうちに思い出を書き留めるのもいいかと。

飼育係といっても、ウサギとニワトリの世話をするだけなんだけど、えさをやることが楽しみだったことを覚えています。みんなでニワトリ達の遊ぶ場所をつくろうと飼育小屋の周りを網で囲み、放し飼いができるようにしました。やっぱ動き回るニワトリは最高です。

さらにニワトリも飛びます。木に乗ります。この目で見たんですから。「コッコ、コッコ」いって、木の枝を歩くんですよ。

みんなから好かれたニワトリがいました。名前は”ジャンボ”。なにせ他のニワトリと比べたらとにかく白くて大きい。それにトサカがでかい。
やっぱり愛着がわく。

ただ、大きいのに弱いのが欠点でした。他のニワトリにいつもいじめられて、あの赤くてでかいトサカがつつかれて血まみれになってました。

次の日になるとあのトサカが黒くなってました。ホント痛々しかった。

”ジャンボ”を抱えるとズッシリとした重みで抱き心地が最高。
ニワトリを食べるなんて信じられんと思うくらい。

そして、”ジャンボ”は小学校6年生のとき死んでしまいました。

みんなで墓を作ろうということで、スコップを持ち出し、放し飼いができる庭の中に穴を掘り”ジャンボ”を埋めてやりました。

そしてできた墓が縦横1mはある前方後円墳。周りには仁徳天皇陵の墓のようにため池も造りました。

きっとスピリチュアルルカウンセラーの江原さんも”ジャンボ”は喜んでいますよというくらい気持ちのこもったものでした。

あの頃は担任の先生が歴史好きで、みんなで縄文土器を作ったりしてたから影響を受けてたんだ思うし、キン肉マンが流行ってて、前方後円墳の印象が強かったんだと思う。

今、鳥インフルエンザが流行っているけど、鳥は全く悪くないですから。
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posted by ヒコ at 20:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする